なでしこジャパンは、アメリカとの決勝戦を前に、全員であるビデオを見ました。そこで見たのは、女子サッカーの苦難の歩みを振り返るビデオでした。
日本女子代表チームは、1981年に誕生しました。この当時は、女性がサッカーをすることが珍しい時代だったそうです。
この年、デンマーク、イタリア、イングランドの3か国を日本に招いて、国際女子サッカー大会が開催されました。イングランド戦は0-4、イタリア戦は0-9という成績でした。この成績は無理からぬことでした。日本チームは、中学、高校生を中心に編成されていたからです。当時の強化費用はわずかで、遠征費を自分で負担しなければならないこともあったそうです。
阪口夢穂はこう言っています。
「いままでずっと歴代の代表の大会等が写されていて、結構ジーンと来るものがありましたね。そのころに頑張ってた選手がいるから、今の自分たちがいるっていう感じで、その人達も悔しい思いをいっぱいしてきたと思うんですけど、その人達の分まで頑張ろうという感じでしたね」
この当時、坂口選手はアルビレックス新潟レディースに所属していましたが、昼間は新潟にある電子部品メーカーに勤務し、サッカーの練習は夕方6時以降に始めていたそうです。
「女子の世界って、やはりみんな仕事を持ちながらサッカーをしている人が多いですし、本当に好きという気持ちだけでやっている人が多いので、中途半端な気持ちでやってない人が多いから、勝利には人一倍執着心があるんだと思います。」
選手を勝利へと駆り立てていた思いは、「女子サッカーがおかれた環境を変えるために、結果を出さなければならない」というものでした。
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