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佐々木監督

「澤だけではなくて、周りがあっての澤ですから、なでしこジャパンの一員だから彼女が生きているんだと言う表現が一番だと思います」



「みんなで一つの目標に向かってやり遂げる、普通だったら自分の年でハグをしながら喜ぶことってないじゃないですか。自分の好きなことをやって、こんなに喜び合える仲間がいるって素敵だなって思いました」

「なでしこの試合を見て、またボールを蹴りたい、やりたいって言ってくれた女の子もいたみたいで、そういうのを聴くと、その子の気持ちも変えれるくらい凄く感動を与えたのかなと思いますし、長い道のりでしたけど、サッカーをやってきて良かったなと思えた瞬間だった。色々な方々に言えるのは、夢は叶えるためにあるのかなと思います」



ワンバック

「私は澤に言いました。おめでとう、あなたを誇りに思うと。澤は私に言ったんです。1対1で戦ったら、アメリカには絶対勝てない。でも、みんなで力を合わせれば世界一になれるんだと」


鮫島

「全員で諦めずに戦って、あの結果が出てきたので、本当に全員で勝ち取った勝利ということで、嬉しかったです」


川澄

「もともと本当に好きでサッカーをやっていると思いますし、楽しいから続けていると思うので、本当に夢のようなワールドカップを楽しむことができました」


阪口

「本当に、なでしこって窮地に立たされると力を発揮するんですけど、一番学んだことは、諦めなければ大丈夫ってことを学びましたね」


あやちゃん

「ファンの方がファンでなくなっていく日が来ないように、成長し続けていくしかないと思うので、気を引き締めてやりたいと思います」



延長後半残り3分。まさか、ここで日本に追いつかれるとは思っていなかったアメリカ。アメリカを代表するワンバックがこう言っています。

「私には、時が止まったように感じられました。同点に追いつかれるなんてあり得ないと思ったからです。アメリカは、後5分で、ワールド杯で優勝できるところでした。本当に、胸が張り裂けそうになりました」

これに対して、同点に追いつきPK戦に持ち込んだ日本は、佐々木監督を中心に笑顔の輪が出来ていました。

阪口

「全然気負うことなく、ワールド杯決勝でPKを蹴ることなんて、これからないかもしれないから、雰囲気を楽しもうという感じだった」

海堀

「特に緊張することもなく、折角ゲームの流れで追いついてもらっていたんで、普通に頑張ろう、楽しもうと思いました」

澤は、ペナルティを蹴らず、後輩に託しました。

これに対し、川澄は澤についてこう言ってます。

「あんな大舞台で、ずーっとチームの中心でやってきてくれた選手なんで、『どうせですから絶対蹴った方がいいですよ』と言ったんですけど『絶対、やだやだ』と言っていました。」

「皆を信じて、気持ちだけは皆に託しました。でも、どうしても勝ち取りたかったんで、気持ち的にですけど、サッカーの神様がついてくれていたら、勝利に導いてくれるんじゃないかと思ってお願いしました」

コイントスで、PKはアメリカが先攻となりました。1人目のボックスは、中央寄りのシュートを放ち左に跳んだ海堀の裏をかいたように見えましたが、海堀の右足が残っており弾かれました。

対する日本は、PKに絶対的な自信を持っているあやちゃんが蹴りました。蹴る前に、相手の動きを観察して一呼吸おくと、ソロは痺れを切らして右に飛びました。あやちゃんは、それをあざ笑うかのように、ソロの動きと反対方向の中央やや右寄りにボールを蹴りました。余裕でゴールが決まると、ガッツポーズが出ました。緊張している仲間を鼓舞するために、あえてポーズをとったように思いました。

続くロイドは枠を外しました。日本は、2人目の永里が止められてしまいました。しかし、この日の海堀は絶好調でした。3人目のヒースが狙った左側へのシュートを阻みました。

日本3人目は、阪口でした。思い切りゴロで左隅を狙うと、GKの指先に触れたもののゴールがネットを揺らしました。この時、ゴールに対する福ちゃんや矢野の驚きの表情が印象的です。

後攻の日本側は3人目が終わって、2-0とリード。アメリカ4人目のワンバックは成功しましたが、次を決めれば日本が勝利です。若干20歳の熊谷に、優勝の命運がかかったのです、

熊谷は、相手に狙いを読まれたくないと一度夜空を見上げました。そして、GKソロと目を合わすことなく、豪快に左上方ゴール隅目がけてボールを蹴りました。迷いなく放たれたボールは、ゴール右上のネットに突き刺さりました。


日本の女子サッカーが世界に挑戦してから30年、澤が日本代表に選ばれてから18年、なでしこジャパンは、ワールド杯初優勝を遂げました。

熊谷のシュートを見守るあやちゃんの少し笑顔を浮かべた表情と、緊張感に包まれた澤の表情が対照的です。そして、熊谷のゴールが決まった瞬間、澤を始め、なでしこジャパンの選手たちは一斉にGK海堀の元へ走り出しました。ただ一人、あやちゃんを除いて。

延長後半残り3分。なでしこジャパンの敗色が濃厚となってきました。テレビを見ていただれもが、日本の負けを覚悟したのではないでしょうか。しかし、それでもなでしこジャパンのイレブンは誰一人諦めていませんでした。


川澄がアメリカのボールをカットすると、あやちゃんにボールが渡り、阪口⇒鮫島⇒阪口⇒あやちゃん⇒澤とボールは生き物のように動き出します。そして、澤が相手ゴール前に蹴り込んだクロスボールに、GKソロより先に触れた近賀の蹴ったボールは、アメリカゴールに向かって円弧を描いて飛んで行きました。あのまま誰も触れなければゴールに吸い込まれたのだろうか。微妙な位置に飛んだボールでしたが、相手DFランボンが懸命に蹴りだします。


このプレーで、日本はCKを得ました。蹴るのは、もちろんあやちゃんです。しかし、この時、アクシデントがありました。近賀のシュートを阻止しようとしたGKソロが味方DFと交錯し、ソロが足を強打し、その治療のために試合がストップしたのです。


このプレー中断の時、CKを待っていた澤の元へ、ワンバックがやって来て何やら言いました。この中断は時間稼ぎではなく治療のためだと言いにきたようです。もちろん、残り時間を考えたら、プレー中断により少しでも時間稼ぎをしたいという思いに駆られることは分かります。しかし、アメリカがそのようなことをするチームには見えませんでした。澤もワンバックに対して、了解と言う仕草を見せました。


CKのためにコーナーに行っていたあやちゃんが、澤のところへ戻ってきました。阪口も一緒に、何やら三人で話し合いが行われました。


あやちゃんが澤に伝えたのは、ボールを蹴り込む位置のことでした。高さでは無くスピードで勝負するには、ゴールポスト手前のエリアしかないと考えたのです。


あやちゃんの証言

「ニアでいけるんじゃないか、ニアに蹴るわ」

澤の証言

「宮間選手が『ニアに合わせる』と言ってきたので、『じゃあ、私一番に行くね』って」


澤は、あやちゃんがボールを蹴る前から一気にニア目がけて走り出しました。澤をケアしていたDFビューラーは一瞬遅れて走り出しました。


ボールは、寸分の違いもなくドンピシャで、澤の思った位置に飛んできました。澤は右足アウトサイドでボールを蹴り、軌道を変えました。軌道の変わったボールはワンバックの胸に当たって、GKソロの動きと反対側に飛んで行きゴールネットに突き刺さりました。残り時間3分で、なでしこジャパンは再び同点に追いついたのです。


この時のことを、澤は後にこう言っています。

「アウトサイドの上の方、小指、薬指のあたり。アメリカは背が高いのでヘディングでは勝てないにしても、ニアへの速くて低いボールに対しては私も多少の自信がありましたし。自分が触ることによって角度が変わってくれればいいなあと思っていました。実際、相手のワンバックに当たって入りましたから。キッカーのあやが良いボールを送ってくれたので、当てるだけでしたよ」


澤は、ゴールを決めて立ち上がると、あやちゃんの姿を探して一目散に駆けていきました。

「私が点を獲るのは大体、あやのセットプレーから。彼女は私をいつも意識してくれていて、W杯でも5ゴール中、3ゴールがあやのアシストでしょ。だから、アシストしたあやのところに一番最初に行くように体が勝手に動いてしまうんです(笑)」


あやちゃんはこう言っています。

「本当にみんなの気持ちと言うか、雰囲気もグランドの空気もありますし、そういう全てを含めて、たまたま自分が代表して蹴って、澤さんが絶妙に合わせてくれたというところで、本当にみんなの点だと思います」

監督の選手起用に対して意見を言うことは、監督批判ともとられかねません。ほとんどの選手が、そうした行動はとらないでしょう。しかし、時にピッチに立つ選手の方が、試合の流れをより理解できることもあるのかもしれません。


なでしこジャパンが、ワールド杯ドイツ大会で優勝した要因の一つに、監督の度量を上げても良いのではと思いました。


アメリカとの決勝戦、アメリカが延長前半を1点リードで終えて後半が始まろうとしたとき、一人の選手が佐々木監督に自らの意見をぶつけました。それは、自分と他の選手のポジションを変えて欲しいというものでした。


自らの意見を提案したのは、川澄奈穂美でした。本大会で、準決勝のスウェーデン戦で2得点を上げ、シンデレラガールとして注目を集めた彼女でしたが、単なるシンデレラでなく自らの考えもしっかり持っていました。


右サイドのFWの位置にいた彼女は、右サイドハーフにいた丸山とポジションを入れ替えて欲しいと提案しました。運動量の多い自分が、アメリカのサイド攻撃を止めれば、攻めに転じることが出来るのではないかというものでした。


「サイドクロスを上げられて、失点してしまったというのもあるので、自分がサイドで丸山選手が前の方がいいんじゃないのかなというのを少し感じたので」



これに対して、佐々木監督はこう言っています。

「彼女もしっかりそういうことを考えてくれて、これだけ戦ってきたのに冷静だなと感じました。そうだな、それの方が良いかもしれない。(それじゃあ)変えてくれ」

「澤頼みと言うか、澤と言う存在は勿論大きいですけど、澤無しでもなんとか出来るように、自分たちがやっているんだから、状況が変わったら自分たちで対応するという要素の所では、凄く対応能力だ出来てきたという所がある」

度量の小さな監督であれば、この川澄の提案に対して、自身のプライドが頭をもたげ、「ふざけるな!」と怒りが前面に出るような場面ではなかったでしょうか。しかし、佐々木監督は、川澄の意見をすんなり受け入れて、丸山とポジションを変えさせました。


結果として、このことがなでしこジャパンに良い結果を生みました。

これまで、攻撃が上手く機能しなかったのが、二人のポジションが変わったことで守備が安定し、前線が活性化し始め何度もゴールに迫れるようになりました。明らかに、なでしこジャパンの動きがスムーズになり、前がかりになった澤も自らシュートを放つなど、攻めの形が見られるようになりました。


そして、ついに運命の時がやってきます。


延長後半の試合終了の時間が迫りくる中。

中盤で川澄が相手のパスをカットすると、そのボールをあやちゃんへパスしました。その後、ボールは、阪口⇒鮫島⇒阪口⇒あやちゃん⇒澤と繋いだところで、澤がゴール前に走り込んできた近賀を見つけ、相手GKと走り込んできた近賀との間にクロスボールを入れました。

このボールに、飛び出してきたGKソロより先に近賀が触れました。ボールはジャストミートしませんでしたが、それでもゴール目がけて飛んでいきました。しかし、このボールを、アメリカのDFがゴールマウス手前でピッチの外に蹴りだしました。


なでしこジャパンは、この一連のプレーでCKを得ました。このCKは、なでしこジャパンに奇跡を生みました。






なでしこジャパンは、アメリカとの決勝戦を前に、全員であるビデオを見ました。そこで見たのは、女子サッカーの苦難の歩みを振り返るビデオでした。

日本女子代表チームは、1981年に誕生しました。この当時は、女性がサッカーをすることが珍しい時代だったそうです。

この年、デンマーク、イタリア、イングランドの3か国を日本に招いて、国際女子サッカー大会が開催されました。イングランド戦は0-4、イタリア戦は0-9という成績でした。この成績は無理からぬことでした。日本チームは、中学、高校生を中心に編成されていたからです。当時の強化費用はわずかで、遠征費を自分で負担しなければならないこともあったそうです。


阪口夢穂はこう言っています。

「いままでずっと歴代の代表の大会等が写されていて、結構ジーンと来るものがありましたね。そのころに頑張ってた選手がいるから、今の自分たちがいるっていう感じで、その人達も悔しい思いをいっぱいしてきたと思うんですけど、その人達の分まで頑張ろうという感じでしたね」

この当時、坂口選手はアルビレックス新潟レディースに所属していましたが、昼間は新潟にある電子部品メーカーに勤務し、サッカーの練習は夕方6時以降に始めていたそうです。

「女子の世界って、やはりみんな仕事を持ちながらサッカーをしている人が多いですし、本当に好きという気持ちだけでやっている人が多いので、中途半端な気持ちでやってない人が多いから、勝利には人一倍執着心があるんだと思います。」


選手を勝利へと駆り立てていた思いは、「女子サッカーがおかれた環境を変えるために、結果を出さなければならない」というものでした。

ワールド杯ドイツ大会、決勝戦。延長戦に突入して、延長前半14分、ワンバックにゴールを決められたとき、決めたワンバックと決められたなでしこジャパンの選手たちの声は、次のようなものでした。



ワンバック

「これでようやく終わったと思いました。延長戦でリードされたら、追いつくのは非常に難しいからです。あの時、アメリカが世界一になったと確信しました」


鮫島彩

「失点された後でも、みんなでいけるいけるって声を掛け合いながら、みんなも行こう行こうって言って、本当にあの試合は、全員が心から絶対勝ちたいと思ってた」



岩清水梓

「後ろから見てて、全員がそうだったので、点を取り返しに行くという姿勢が一人一人見えたし、全員に見えたので、その一員として諦めるわけには行かなったです」



丸山桂里奈

「やっぱりみんなで、本当に走って、守って、攻めて、本当に一人一人の信頼が大きくて、内心はきついと思いましたけど、でも、最後まで諦めないという気持ちを持ってピッチに立っていました」



これらの証言を裏付けるように、ワンバックが次のように発言しています。

「決定的なゴールを決められたのに、驚くべきことに日本の選手は誰一人落ち込んでいませんでした。それどころか、チームワークがさらに高まり、全員で向かってきたのです」


澤穂希

「今回は不思議と、点を入れられても点を取り返せるみんなの落ち着きが良かったのかなと思います。いつもなら焦っちゃうんですけど、逆に一番落ち着かなくてはいけない自分が一番焦ってたんじゃないかな。みんな冷静で、本当に成長も感じられましたし、頼もしかったですね」



阪口夢穂

「ここで諦めたらあかんなって、今回のワールドカップは結果を出そうってみんなで話し合っていた」




ワールド杯ドイツ大会の決勝戦。なでしこジャパン対アメリカ戦は、後半のワンプレーで日本はアメリカに先攻を許します。


69分、後半途中から出場した元陸上選手のアレックス・モーガンにゴールを決められます。日本が攻め上がったとき、相手のバイタルエリアで永里がボールを奪われると、アメリカは素早く前線にボールを蹴り込みました。


このロングフィードに熊谷とモーガンがボールを取りに行きます。しかし、モーガンのスピードが上回りました。モーガンは熊谷を振り切り、中央左寄りから強烈なシュートを放ちました。ボールは、GK海堀が横っ飛びで弾こうと伸ばした手の横を飛んで行き、ゴールに吸い込まれました。


日本は、先制されると、澤が積極的に前線に顔を出し、同点ゴールを決めようとしていました。そして、ついにその時が来ました。


後半36分のことです。


日本は相手DFが前線に送ろうとして蹴ったボールを、川澄がパスカットし、右サイドを駆け上がって来た永里にボールをパスしました。



ボールを受けた永里は、相手DFをかわすと、ゴール手前で待っている丸山へパスしました。丸山は、ペナルティエリア内でボールを受けると、相手センターバックと競り合いながら素早くボールを中央へと蹴りました。すると、相手CBの体に当たりボールがGKソロの届かない位置に転がりました。そこへ走り込んできたあやちゃんが、GKの動きを見て、とっさに左足でGKの動きと反対方向のゴール隅へと蹴り込みました。こうして同点ゴールが生まれました。


この一連のボールの流れの中で、いち早く、ゴール前に駆け込んできたあやちゃんの走行距離は約50mでした。最前線での攻防をカメラが捉えていた時、あやちゃんの姿は、かろうじてテレビ画面の左下に写っているだけでした。


約50m手前からゴールに向かって猛烈な勢いで走り込んでいったとき、ゴール前で何が起きるか、まったく想像出来なかったと思います。それでも、何かが起きると信じて走って行ったはずです。その結果、相手CBに当たったボールが目の前に転がってきました。



ストライカーの勘が働いたのでしょうか。

それもあると思いますが、約50mの距離を全力で走ったから、こぼれたボールにいち早く触ることができました。


常に全力プレーしているからこそ、生まれたゴールだったと思います。


「世界No1のキーパーなので、足が伸びてくるのも容易に想像できたので、なるべく反対の隅の方にと思いました。中々入らないようなキーパーなので、流れの中で点を取ったことは嬉しかったですね」


この1点が、選手たちの大きな自信となる。


なでしこジャパンは、北京オリンピックで4位になり、帰国した際に記者会見が行われました。その時、あやちゃんは、笑顔でこう答えていました。


「澤さんは、常に苦しかったら自分の背中を見ろと、プレーでも、言葉でも引っ張ってくれていたので、最後の1秒まで背中を見て走りました」


北京オリンピックの出場は、あやちゃんにとって初めてのオリンピック。澤さんの背中を見ながら、必死で戦いました。結果は、今一歩でメダル獲得というところまで行きましたが、それでも、アテネオリンピックの8位から4位と躍進した分けですから、結果には満足していたのでしょう。記者会見で笑顔が溢れていました。


ワールド杯ドイツ大会の優勝は、北京オリンピックにおけるなでしこジャパンの躍進がなければありえなかったと思います。そして、澤さんとあやちゃんの深い信頼関係がなかったらありえなかったと思います。

それにしても、北京オリンピック帰国記者会見で澤さんについて語るあやちゃんの笑顔は、本当に最高ですね。後年、キャプテンとして仲間を牽引するようになってから見せる笑顔とは、まったく違うように思います。お母さんに褒められたときに子供が見せるような、本当に嬉しそうな笑顔に見えます。

まずは、次の写真を見てください。2011年ワールド杯ドイツ大会の決勝戦のPK戦の写真です。最後のキッカーとなった熊谷選手が、ボールを蹴る瞬間のものです。その次に起きた出来事を、メインカメラは捉えていませんでしたが、別のカメラが捉えていました。


2011年ワールド杯ドイツ大会の決勝戦、対アメリカ戦のPK戦です。90分で1-1と決着がつかず、15分ハーフの延長戦に突入。前半14分にワンバックに決められ2-1とされますが、延長後半12分、日本はCKを得、あやちゃんと澤さんが奇跡のゴールを決めます。そのまま、決着がつかずPK戦に突入しました。

PK戦は、海堀選手のスーパーセーブなどで、日本が2-0とリード。アメリカの4人目はワンバック、きっちりと決めて2-1とします。しかし、次に日本の4人目、熊谷選手が決めれば日本が優勝という場面です。固唾を飲んで見守る中で、あやちゃんだけがにやけているのが分かります。

熊谷選手が蹴った瞬間の写真が次のものです。澤さんを始め仲間たちが、海堀選手を目がけて走り出そうと身構えている中、一瞬笑顔をつくると、永ちゃんとつないでいた手を放して、体を反転させて仲間と反対方向に向かって歩きだします。あやちゃんの向かった先は、まさかの敗戦に落胆していたアメリカ選手たちの下へでした。


この事実を知ったのは、決勝の行われた7月17日より後になってからでした。

2011年7月19日、トークショーに出演したアメリカ代表キーパーのホープ・ソロが、決勝での宮間あや選手とのちょっといい裏話を披露しました。その映像がYouTubeにアップロードされたのは7月21日のことでした。これを見て、宮間あや選手が大好きになり、今に至っています。その動画は以下のものです。



この動画は、ひょっとしたら消されてしまうかもしれません。お早めに、御覧になってください。

本大会に選出されたなでしこジャパンのメンバーは、全員で21名です。

以下、21名の選手を紹介しましょう。

GK ゴールキーパーは、3名です。

   1 山郷 のぞみ(36歳)、12福元 美穂(27歳)、21海堀 あゆみ(24歳)

DF ディフェンダーは、7名です。

   2 近賀 ゆかり(27歳)、5 矢野 喬子(27歳)、14上尾野辺 めぐみ(25歳)

   3 岩清水梓(24歳)、15鮫島 彩(24歳)、16田中 明日菜(23歳)

   4 熊谷 紗希(20歳)

MF ミッドフィルダーは、6名です。 

  10澤 穂希(32歳)、8 宮間 あや(26歳)、9 川澄奈穂美(25歳)

   6 坂口夢穂(23歳)、12宇津木 瑠美(22歳)、7 安藤 梢(29歳)

FW フォワードは、5名です。 

  18丸山 桂里奈(28歳)、11大野 忍(27歳)、17永里 優季(23歳)

   19高瀬 愛実(20歳)、20岩渕 真奈(18歳)


 最年長は、山郷のぞみの36歳、最年少は岩渕真奈の18歳と、年齢幅の大きな構成となっています。あやちゃんは、丁度、真ん中と言っていいと思います。それゆえに、あやちゃんは、次のようなことを言っていました。



「比較するものがあるというか、国内では、男子サッカーの環境がよくて女子サッカーがそこまで良くない。近くに比較するものがあるので、勝たなければ何も変わらないというのはあります」


「今、年齢的には中堅という立場ですけど、ワールドカップを経験している立場で、試合に出れない選手だったり、中々みんなの前で話すことができなかったりという選手の気持ちも良く分かる立場だったので、試合に出てない選手たちは辛かった部分もあると思うんですけど、最終的に皆が終わったときに笑顔で終われるようなチームでありたいなとは常に考えていました」


「世界一になったので、これからは見る目が厳しくなると思うので、今回は良く優勝したと言ってくれる方が多いと思いますけど、逆にサッカーに関わらず、テレビでなでしこを応援してくれる方々の目は厳しくなってくると思うので、成長し続けていくしかない。気を引き締めてやりたいと思います」


これに対して、岩清水選手が、こう感謝の言葉を述べています。

「(宮間選手の存在がチームにとって)とても大きくて、私にとってもとても大きくて、本当に選手同士のコミュニケーションを繋いでくれる選手です」


 今振り返ってみると、皆さん、本当に若かったんですね。特に、ブッチーは18歳でした。先日の熊本でのキリンチャレンジカップでは、19歳の市瀬選手が、若いと紹介されていましたが、ワールド杯の本番を18歳で出場したのは、やはり驚きの若さだったと思います。ブッチーには、それだけ期待されるものがありましたし、実際に試合の中でも、途中出場ながら、流れを変えるだけの力がありましたね。


 現在のなでしこジャパンの中心メンバーも、東京五輪では、ワールド杯優勝チームと年齢的には、そう変わらないことになっていると思います。是非、先輩に続いて、良い結果を出して欲しいと思います。




いままで、長きに渡って、ブログを書いてきました。そして、いつも気になっていたのが、ブログは日々更新され、行きたい場所にたどり着けないという思いでした。今日、このHPを簡単に作成できるツールを見つけました。今頃、気づいたのですが、このHPからブログを立ち上げれば良かったのかもしれませんね。切り替えの仕方が分かりませんので、今までのブログは、リンクを貼らせていただきますので、興味がありましたらアクセスしてください。

本当に見やすいHPになるかは、まったくもって分かりません。この既存のツールの全体像が分からないので、どんな形に落ち着くのか、更新しながら構築していきたいと思います。